2012-01-01から1年間の記事一覧
昨日は、大学で今年最後の仕事をしていた。散らかった部屋の掃除は来年だと思いつつ、帰りがけに大学の近くのいつもの居酒屋で飲んだら、急にゾクゾクッと寒気をもよおした。熱燗を飲んでいるのに風邪!?、と思いつつ夜遅く、最終のこだま号に乗れたのはラッ…
故郷に帰ると、心も少しばかり余裕で反応してくれるようだ。そんな余裕の心持ちにひたりたくて人々を故郷へ誘うのだろうか。おいらも今日は、一足早く東京へ里帰りしてきた。本来は、仕事で企てた里帰りだったが、それもほどなく片付き、お袋のお見舞いと散…
高田の街で吉田五十八の数寄屋建築に遭遇する。東京の馬込から移築したそうだ。フラットな床とか隠し框とか、それにこの正面からして大壁と真壁の組み合わせだとか、 彼特有の建築意匠が見て取れる。日本画家小林古径の住居であったとか。 内部を見て回ると…
高田の街は、直江津市と合併して上越市となった。高田の街は、特急も走らなくなった信越本線の1ローカル線の駅なのだが街としてのまとまりがある。 上杉謙信以来の歴史もあり、あるけどあるけど雁木が続きお店も多い。やはりこちらが上越市の中心なのだと思…
高田の街のなかに師団長の家という洋風建築がある。ここに日本人軍人にスキーを教えるために、オーストリアからレルヒ少佐がやってきた。それが我が国のスキーの始まりである。以来日本人がスキーを始めて、今年で調度100年である。 さて 随分雑事にかき回さ…
雁木の街、高田の朝は、朝市だった。少し雨が降る街のなかの散策だった。ああいい風景、といって、ここで白菜を買うわけにもゆかず、ただただ眺めて通り過ぎた。 さて今日は、疲れた。もう寝る。 上越市,2012年11月17日 OLYMPUS OM-D E-M5,M.ZUIKO DG14-150m…
雁木が延々と続く高田の街の徘徊である。アートモードのリーニュクレールも夜のような高感度になると、ノイズが目立つようになる。夜、使うとコンテンポラリーな画像になり、使い道が限定される。 さて年末も年賀状を出すと肩の荷が下りるように思う。今週末…
一日5時間の集中授業が来週からだ。こうかくと「忙しいのは、あなただけではないですから」、と笑われそうだ。だが、「てめぇー、一日5コマ(実質7時間半分)×3日分のしゃべるネタがそんなにあるんかい!」とタンカを切りたくなる。それだけのネタをつくるとい…
この時は、高田の街を徘徊しながら古い居酒屋を探していた。WEBでも検索したが、古い店は見つけられなかったと。OM-Dの露出計をスポット測光に設定し、足のむくまま夜の街の撮影徘徊であった。それにしても延々と雁木の街並が続く。 昨日は大学の懇親会。少…
PEN LIFEと書きながら、iPhoneのパノラマモードで高田駅前を撮影した。実はこれが大変便利な機能であり、もちろんPENもできるのだけど、こちらはPCに取り込んでからオリンパスのプログラムで変換する必要がある。iPhotoを使用している立場からすれば、それは…
鼻水とくしゃみが止まらない。医者は休みだし風邪薬でも調達するほかない。明日は終日授業なので、はってでも行かざるを得ない。家で静かに静養しているほかない。ないないずくしだ。だから今日は、ブログも書かない。 付記 京都市が休日急患診療所を開設し…
佐渡汽船のターミナルからバスで、旧高田市へたどりついた。ロワジールホテルに荷物を置き、早速街この街の特徴である雁木のある街並の徘徊である。雁木とアーケードとは形態が似ているが、雁木は私道に、アーケードは公道に設けるものである。 だから雪の時…
直江津へ行く船に乗る迄に少し時間があったので、小木の集落を散策。小木は佐渡西部では比較的大きな街である。街の骨格の道路が港の周りを半円形に走っているという空間構造が気になっていた。建物の古さからみれば、昔からこのような構造だったことがわか…
小学校を改築した佐渡国小木民俗博物館は、資料が多いこと。8千点とどこかで読んだ記憶がある。だから旧小学校校舎だけでは足りずに新たな資料館を増築してある。 宿根木などの民家に残されていた昔の道具をすべてかき集めたといったらよいだろうか。ほっと…
大学時代に彫刻を専攻した同級生が、家業の不動産屋を継いでいる。それにパフォーマンス・アーティストを加え3人で、市内の土地を見にでかけた。さてどんな事業をしようか、それを肴に居酒屋のはしごをして、最後はホテルのラウンジでカクテルで締めくくった…
日間賀島から帰ってみると、京都も朝の気温1°、昼の気温6°と、氷河期の始まりかと思わせるような寒さ。それは大げさか。こうなると旅に出る意欲もなく、何もかも保留にしてジッと寒さを耐え忍ぶといったといったほうがよい。 先月出かけた佐渡汽船の運行情報…
知多半島の先端に三つの島がある。佐久島、日間賀島、そして三島由紀夫の小説「潮騒」の舞台であった篠島である。 昨日から大学のゼミで、10人を引き連れて日間賀島へ出かけた。 日間賀島では、風が強く寒いではないですか。といいつつ、学生達と夕方の海釣…
寒いです。何も書くことがない平凡な一日でした。ユニクロで買ったヒートテックの靴下の2枚履きをしています。明日は新講義が始まります。事前にレジメを読み込んでおかなければ。そのあと午後から私のゼミの視察旅行です。今年は、日間賀島へゆきます。一泊…
画像は、宿根木の北前船の船主だった清久郎の民家である。室内は漆塗りだろうか。江戸時代、窓の大きさで税金がかかったとか。だからこの頃の窓は小さい。明治になって窓税が廃止されたので窓が大きくなったと、説明された。 やっと新講義のレジメづくりが3/…
やっと今週からの新講義5回分のレジメが半分までできた。すこしホッとする。 それにしても今年は、もう民家徘徊の一人旅は無理だろうな。盛岡・秋田行きのスケジュールはできたけど、時間があかないね。雑事を放り出してゆく方法もあるが。 それにしても、や…
佐渡宿根木の街ぐらいだと安心して歩ける。この街はどう考えても怖い世界がなさそうだという気分の方が強い。 だが都市に来るとやはり怖い世界はある。都市の怖さといっておこうか。日本で一番怖い都市は、どこかといえばやはり京都である。1200年の歴史があ…
路地の奥のさらに奥といった案配の家だ。生け垣越しに小さな庭が見えており、ここまでくると海がすくそばにあるとは思われないけど、でもやはり海のすぐそばの集落というのが現実なのです。そういう僅かの隙間を生かし、海の側にあってもそれを感じさせない…
宿根木の海岸から見える風景だ。日本海の荒波が引く。するとこんな風景が現れる。あの尖った岩は、北アルプスの槍ヶ岳みたいだ。そんな想像を荒波に削られた岩は、おもいおこさせてくれる。それぞれの人なりにであるが・・・。イマージュの風景と呼んだらよ…
路地の奥まったところに玄関がある。こういう居室の下の半屋外空間は、農作業をしたりする農家の中庭のような使い方を、するのであろうか。庭のない密集した集落特有の空間のようにも思われる。 今日も、夜の11時すぎに帰宅となった。午前様ではないが、たっ…
今日は、ゼミ生らと大学付近の赤提灯で飲んで帰ってきたので、ブログを書く元気もない。画像は宿根木の朝だけど、こちらはおやすみモードです。 佐渡宿根木集落,2012年11月16日 OLYMPUS PEN E-PM2,M.ZUIKO DG9-18mm.F4.0-5.6, ISO200,焦点距離9mm,露出補正-0…
宿根木集落の三角屋である。敷地が三角なので建築も三角なのであり、日本建築には珍しい形態だ。小屋組を見ると四角い小屋組を三角のプランに合わせてある。それでも納まらないときは、屋根材の変則的な工夫をしているが、解説書には不明と書かれていた。こ…
一晩あけた朝は、実に何日ぶりかの晴天であった。朝飯もそこそこに、再度宿根木の集落へ出かけた。 集落は窪地にあるから、高台から眺めようと思い撮影しやすそうな海側の丘に上がった。これが日本のヴェネチアと言ったら大げさかもしれないが、路地ばかりが…
この路地を「世捨路地」と呼んでいる。多くの人生が往来し石畳の真ん中がすり減っている。厳しい気候のこの集落に来たら、もう人生を捨てたも同然という意味だろうか。佐渡国小木博物館に展示してあった人々の写真は、生き生きとしていたが。 こういう集落を…
いずれ大学の紀要に書こうと思うのだが、宿根木は日本海からの偏西風をまともに受ける立地にある。しかし集落の両サイドの丘陵地が北西からの偏西風を避け、それらの窪地のようなところに集落が配置されている。良好な港があり偏西風をさける巧みな集落配置…
佐渡宿根木から戻って一週間経つと、また旅に出るかと思い始める。 仕事の合間に花巻から秋田へ行くコースを作成していた。伝建地区を二つをみて、秋田で一泊して居酒屋へ行こう。この時期は、晩秋からの郷土料理であるきりたんぽがある。さてその秋田から真…